敬慎院の別当職は、身延山にたくさんある支院のご住職が3年任期で務めます。多くの参拝者と同様、別当さんも普段は登山口まで車で向かい、そこから敬慎院まで歩いて登り下りをします。しかし就任されるときは身延山の自坊を早朝に出発し、丸半日歩きます。その夜に新旧別当さんの交代があり、退任された別当さんは翌朝、御来光を拝むとそのまま下山。3年前とは逆ルートで山を越え、自坊へ戻られます。
■a7II+Vario-Tessar T*FE24-70mmF4ZA
というわけで一昨日はこれからお世話になる第122代の定林坊・望月成浩住職と登り、昨日はこれまでお世話になった第121代の麓坊・望月浄教住職と下山してきました(写真)。iPhoneの記録を見たら往復46.42km、登って下った高低差は448階分。ひと昔前まで七面山をお参りするにはこれしか道がなく、毎日数百あるいは千を超える人数が山越しをしていました。そして今なおその参拝方法を守っている方もいます。
6年前、僕にとって1冊目の写真集「甦る五重塔」ができたことをご報告に伺ったら、そうしたことを教えてくださったのが、そのとき執事になられた浄教さんでした。「来月交代式があるから来い!」と言われたものの、僕は初めて登ったとき痛い目に遭い「二度と登るか」と思っていたので、適当な理由をつけて断ろうかとも思いました。しかし体重120kgの浄教さんの圧がすごかったというのもありますが、行くことにしたのは圧倒的に興味が勝ったからでした。あのとき断っていたら、あるいは本当に別件があって行けなかったら、七面山の写真集も、来月出版する早川町の写真集も確実にありませんでした。
というわけで今日は帰京するなり、早川町の写真集を印刷してもらう東京印書館へ直行。数々の名写真集を手掛けてこられたプリンティングディレクターの高柳昇さんと打合せをしてきました。僕の意見を聞いて高柳さんがプリントに記す指示は、まるでベテランのお医者さんがカルテに記すドイツ語のよう。果たしてどんな初校があがるんでしょうか。っていうかまだ入稿が残っていました。暑さに関係なく汗が止まらない夏になりそうです。