2014年4月13日日曜日

春の別れ

昨日は七面山敬慎院で「遷仏式」がありました。御本尊であり秘仏でもある七面さまを祀っている本殿内陣を修復するため、厨子から七面さまを出し、手前に設けた仮厨子にお移しするのです。

内陣は本殿が230年前に再建されたときのままで、すっかり煤けてしまっています。そこで再建当時の極彩色に塗り直そうという大事業で、敬慎院の“身内”にあたる身延山大学と、地元の身延町や早川町の職人さんが2年間にわたって取り組みます。そこで木曜に登って、一昨日は修復前の内陣を、そして昨日は遷仏式を撮ってまいりました。

僕もこれまで七面さまはぼんやりと見える姿を離れて拝むだけで、秘仏なので写真に撮ったこともありませんでしたが、今回遷仏という貴重な機会を間近で撮らせていただけたのは身が引き締まる思いでした。そしてこれから2年間、身延山五重塔の復元を撮ったときのように、敬慎院や身延山大学に通いながら一部始終を撮ってまいります。もちろん最終的には何らかのかたちで発表するつもりです。

しかし2年後には早川町の写真集も決まっているし、その早川町にある七面山のこの企画も始まったし、ますます中央道を行ったり来たりの生活になりそうで…。



■EOS 5D MarkIII+SIGMA24-105mmF4 DG


七面山を下りた後は、早川町内で桜を撮影。あちこちの桜がちょうど見頃、しかも土曜だというのに、お花見をしている人はゼロ。そりゃそうだ、日本一人口の少ない町だから。だからこそ撮れるものもあるんですけどね。


そして今日は僕の2冊の写真集『甦る五重塔 身延山久遠寺』『感應の霊峰 七面山』の企画と編集をしてくださった元・山と渓谷社の偉い人、現・出版プロデューサーの藤田順三さんの告別式へ。

訃報の電話を受けたのが木曜の朝。七面山へ向かっている最中でした。藤田さんとは日中文化交流のプロジェクトで知り合ったのですが、『甦る五重塔』の写真展をキヤノンギャラリーで開いたとき、見に来てくれてつぶやいた一言が「これ写真集にしないの?」。実はそれまで作品と企画書を持って出版社を十数社回っていたのですが、どこも返事は芳しくありませんでした。

そのことを藤田さんに話すと「これを本にしないのはもったいないよ。俺に預けてくれない?」。そして半年後には平凡社から出版が決まり、初めての写真集となりました。七面山の企画も真っ先に藤田さんへ相談。トントン拍子で話が進んだ…のは、出版そのものの話だけ。編集に関しては僕と藤田さんの意見が真っ二つ。最後は使う紙の種類で大モメ。でも懐の深い藤田さんは「作者のセンセーがそう言うんだったら、仕方ねえなぁ~」と僕の主張を認め…いま思えば何とも失礼だったような、いい経験だったような。

そして昨年は早川町から「町制60周年の記念に、町を写真で残してもらえませんか?」というお話をいただき、藤田さんと写真集の企画書を作成。藤田さんといえばその世界では名の知れた山と川のオーソリティーなので、まさに山と川が生活の中心にある早川町の企画は、過去2冊にも増して乗り気でした。しかし12月の町議会で企画が承認され、さあこれから…というときに入院され、2月に病院へ打合せに伺ったのが僕は最後の面会となりました。

藤田さんはおっちょこちょいで「もう参ったよぉ~」が口癖だったので、暖かくなった頃には退院して、「もう参ったよぉ~」と言いながら入院中に溜まった仕事に追われる姿を想像していたのですが…。きっと今頃天国で「もう参ったよぉ~」とこぼしているんでしょうな。赤いチャンチャンコ着たばかりだし。

まあ残された僕もわりと参っていますが、いい写真集を作るのが何よりの供養なので、明日も午前3時起きで早川町へ行ってまいります。明日は森の中で、木挽の方々を撮らせていただきます。