昨晩は解放感から飲みかけの青酎をボトル半分ほど一気に飲んでしまい、気がついたら床に転がったまま朝でした。おかげで夕方まで頭がガンガン痛かったのですが、心優しい方が餃子とビールなどをご馳走してくださり、一気に二日酔いがさめました。なんのこっちゃ。
しかし昨晩酔った勢いで書いた文章、よく読むと結局何がいいたいのか自分でもわからない。でも好意的なコメントが多いので、皆さん広い心と巧みな読解力で読んでくださったのだと思います(嫌味じゃなくて)。
お金の話は本当どうでもいい酔った愚痴のようなもので、言いたかったことは、見せるということは見ることだということです。写真というのはある部分の断片でしかないので、他人は僕の酔筆のように想像を膨らませてくれますが、自分はその周囲や前後をわかっています。それを誰しも言い訳にしたくなりますが(そりゃ完璧な写真なんてそうそう撮れませんからね)、写真は…いや絵画や彫刻や音楽もそうだと思うけど、ひとり歩きするものであり、フレームの外にそれ以上の現実はないのです。
と、こんなことを毎週教えている高校では、生徒にしつこく言い続けています。どんどん作品を見せてくれる生徒はどんどんうまくなるし、見せてくれない生徒も、何か気が変わって見せてくれると、悩んでいたことが解決したりするんです。
…と、教えることは教わることであるわけで、明日も元気に学校です。なので今日はそんなに飲んでいませんよ。こんな写真載っけて言うことじゃねえか。