今日は9.11……そう、ニューヨークでテロがあった日でした。
7年前の今日、僕はIT企業に勤めていて、翌日朝には取引先でプレゼンが控えていました。誰もいないフロアでその企画書を書いていると……夜9時過ぎ、他のフロアにいる同僚からメッセンジャーで「貿易センタービルに飛行機が突っ込んだぞ」。僕は一瞬東京の世界貿易センタービルかと思いました。慌ててYahoo!のニュースを見ると、それは浜松町ではなくマンハッタンでした。え?あのビルに飛行機?避けなかったの?
そう思ってメッセージをくれた同僚のフロアに行ってみました。そこは制作部門の部署が集まっていて、夜中でも多くの社員がいます。中に入ると、片隅にあるテレビに社員たちが釘付けになっていました。
そして朝まで多くの社員がニュースに見入っていました。夜が明ける頃になり、僕は慌てて席へ戻って企画書を仕上げました。
それから半年ほどして僕は会社を辞め、一応転職先を探したり、声を掛けていただいた会社へ話を聞きに行きました。「来てくれ」という話はいっぱいあったのですが、どうにも決断ができず、前の前の会社から紹介された大手出版社で“とりあえず”フリーとして書籍の編集をやるようになりました。
するとたちまち数ヶ月先までスケジュールが埋まってしまい、いざ転職しようにもできなくなってしまいました。さて、このままフリーで仕事をするのか、どこかで区切りをつけてちゃんと転職するのか……。
そんなことを考えたのが6年前の今日、つまりテロから1年後です。そのとき僕はニューヨークにいました。会社を辞めた直後に“自由になった記念として”初めてニューヨークを訪れたのですが、そのときなぜか「9.11も行くぞ」と思ったのです。
9.11、夜明け前にミッドタウンの安宿を出て、地下鉄でグラウンド・ゼロに行くと、すでに周辺は人でいっぱいでした。夜明けとともに式典が始まり、ブッシュ大統領やジュリアー二前市長、ブルームバーグ市長が読み上げる犠牲者の名前を、集まった人や通勤途中の人たちが静かに聞いていました。
そういえばグラウンド・ゼロで追悼文を読んでいる遺族を撮影していると、隣でもニコンの一眼レフを持った日本人青年が熱心に撮影していました。数年後、友人から紹介された写真家が作品を見せてくれたのですが、その中にどう見てもあのときの青年が撮ったとおぼしき写真が。「このとき青いリュック背負って、ニコン使ってたでしょ?」「はい、でもなんで知ってるんですか?」「だって隣にいたもん」。世の中狭いもんです。
彼の他にも、その後知り合った同業者に、やはりあの日グラウンド・ゼロに行っていたという人が結構います。今思えば安易というか単純だなあと思いますが、写真家とはそういうものなのかもしれません。
結局僕はそのままフリーになる道を選びました。正確には流されていったというべきかもしれませんが、今思えば大正解だったかもしれません。
ニューヨークはその後も数回訪れましたが、行くたびに現地在住の写真家と知り合ったり、ギャラリーでそうした人たちの作品を見るようになりました。すると「住んでるやつにはかなわないなあ」と思うようになり、また仕事が忙しくなったこともあって足が遠のいてしまいました。もう4年ほど行っていません。また行きたいとは常に思うんですが……。
そして今は北京を一生懸命撮っています。ほんの1年半前まで中国にも北京にも興味がなかったのに、よもや中国語を習い、現地で仕事をするようになるとは……。
北京はニューヨークと違って「どこを撮ってもそれなりに絵になる」わけではありません。むしろとらえどころのない町です。でもあの不思議な熱気を目の当たりにするたびに、今撮らなかったらいつ撮るんだ(むしろ撮り始めるのが遅かった)と思います。
でも数年後に振り返ったとき、「なんであんなに撮ってたんだろう」と馬鹿馬鹿しく思うかもしれません。あるいは「もっと他に撮りようがあっただろうに」と実力のなさを嘆くかもしれません。結局のところ、その両方を感じるのだろうと思いますが。
かといって写真家は被写体を追わなくなったらおしまいです。しかも被写体は待ってくれません。写真とは難しいものです。
(というようなことを昨年か一昨年もブログで書いた気がしますが……笑)
2002年9月11日、グラウンド・ゼロにて■Mamiya6MF
話は変わりますが、今日はオリンパスギャラリー東京で、薬師洋行さん&Arthur THILLさんの写真展「第29回北京夏季五輪・同一ケ梦想 -想いは一つ、アスリートの夢-」のオープニングパーティーに行ってきました。内容はタイトルの通り、北京五輪で捉えたアスリートたちの姿です。
薬師さんとは中国仲間の山本さんを通して知り合ったのですが、僕が写真を始めた高校生の頃、薬師さんはキヤノンのカタログで「ニューF-1ハイスピードモータードライブ」という化け物のようなカメラ(なにせ電池が単3×20本、お値段は130万円)を手にしていました。それを見たシカノ少年は素直に「スポーツカメラマンってカッコいいなぁ」と思ったものです。以前その話を薬師さんにしたら「あはは!よくあんなクソ重たいの使ってたなぁ~!」と笑っておられました。
その薬師さんが今日のパーティーで「もっと腕を磨いて次のオリンピックも頑張ります」とご挨拶されていました。僕からみれば何をおっしゃる…ですが、ご本人はなかば本気なのかもしれません。巨匠と呼ばれる方ほど「まだまだ」という欲が強いように感じます。写真とはやはり難しいものです。