2009年4月13日月曜日

嗚呼我が母校

今日は朝からパソコンの前で格闘……って暴れてたわけじゃありませんが。



夕方に気分転換しようと自転車で外出。なんとなく近所を走っているうちに、母校(高校)を見てみようと思いまして、本当に行ってみました。ってうちから自転車でたった10分の距離なんですけどね。



僕の母校は都立高校なんですが、第二次ベビーブームで生まれた分校。僕はちょうど人口のピークにあたる学年で、当時は都立高校に分校がいくつもありました。東京なのに分校なのです。
なにせ仮の学校なので、僕の母校はプレハブの校舎でした。見た目はふつうの学校と変わらないのですが、あるときクラスメイトが八つ当たりで柱をパンチしたら、なんと穴が空いて中は空洞だったのです。「この校舎は柱がないのかよ!」「地震が来たらどーすんだよ!」とクラス中が騒然となりました。



数年前に同級生と3人で「メシでも食おうよ」という話になり、たまたま行ったのが母校そばのファミレス。「もう閉校になったんだよねえ? 取り壊される前に校舎見ておこうぜ」という話になり、なぜか開いていた校門をくぐり、誰もいないはずの校舎に入ると……。
中からジャージを着た高校生が! 一瞬出るものが出たのかと思いましたが、そのとき最後の3年生がまだ通っていたのでした。



その翌春に閉校されたのは新聞で読んだのですが、今日久しぶりに行ってみると……更地。プレートが外された校門だけが残っていました。門には「都所有地」の看板がかかっていました。
校舎は漢字の「日」の形をしていて、かなり広い印象があったんですが、更地でみると意外と狭いもんでした。



ついでに駅前も行ってみましたが、印象としてはあまり変わっていないものの「駅前にマックなんてあったっけ……?」。卒業して18年も経つと記憶もあいまいですね。
しかしよく考えたら、高校を卒業するまでと高校を卒業してからが今ちょうど同じ。高校を卒業するときは将来の希望など何もありませんでしたが、倍の年齢を重ねると(というか重ねても)何とかなっているものです。かといって今の倍=70歳は違う意味で不安ですが。ワシ生きとるんだろうか。



でも駅前のことをよく覚えていないのは、自転車通学で駅前はほとんど通らなかったからということを今思い出しました。まあそれにすぐ気付かないこと自体、歳月が経っている証拠かもしれません。





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090412_c_8721 ■EOS 5D MarkII+24-105mm

学校の暗室にこもっていた高校時代を思いだして、モノクロモードで撮ってみました。18年前はボタンひとつでカラーとモノクロが切り替えられたり、モノクロで撮ってもカラーの情報が残せたりなんて想像もできませんでしたけどね。