2012年2月7日火曜日

訃報

写真家の石元泰博さんが亡くなられた……と昼過ぎにTwitterで知りました。その後さまざまな方がツイートしていましたが、最初に目にしたのが平凡社の公式アカウント。


僕も平凡社から写真集『甦る五重塔』の出版が決まったとき、平凡社ですばらしい写真集を出してきた何人もの写真家の名が思い浮かびましたが、そのひとりが石元さんでした。お会いしたことはありませんでしたが、人づてにさまざまな“石元伝説”を聞いており、そんな方と同じ版元から写真集が出版できることを光栄に思いました。



さらに数時間後、その写真集の撮影でとてもお世話になった、身延山久遠寺の池上宗和・元棟梁が亡くなったという知らせが。
鎌倉時代、奉行・池上宗仲の屋敷(=今の池上本門寺)で日蓮さんが亡くなると、弟子たちは遺骨を身延まで運びました。その一行に池上家の人(宗仲の息子?)が同行し、以来代々身延山でお墓を守るようになり、「その37か38か39代目くらいがよぉ、オレなんだよ! 明治の火事で記録が焼けちまったから、よくわかんねえけどな!」と棟梁からお茶を飲みながら聞いたのが、ついこないだのようです。


身延山のあらゆる業務を代々取り仕切ってきたのが池上家で、棟梁も「オレの最後のお務めだ」と五重塔を復元していた頃はいつも境内を駆け回っていました。それでも撮影が終わって帰ろうとする僕に「どうせおめえ、家に帰ってもメシ作ってくれる女もいねえんだろ?」と食べ物を持たせてくれたり、キヤノンギャラリー銀座の写真展に家族で来てくださったり……。


もともと健康状態が優れず、五重塔完成で棟梁を勇退されてからはあまり外出もされなかったようですが、まあ雲の上から身延山を見守っていることでしょう。


 


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4年前、五重塔の上棟式での池上棟梁。式が終わって「おいシカノ! カミさんとよぉ、東京から娘も来てっから写真撮れよ!」と言ったくせに、いざ撮ろうとすると照れる姿が微笑ましいというか……。


石元さんと棟梁のご冥福をお祈りいたします。