2012年3月6日火曜日

余震と替玉の夜

確定申告のために領収書を整理していたら、1枚のくしゃくしゃのレシートが。ん、「一風堂」? はいはいラーメンね。ゴミ箱へぽいっ。


……としたところで「!!!」。ここ数年で一風堂に行ったのは一度だけ。昨年の3/11の夜でした。


慌ててゴミ箱から拾い上げてみると……


 



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ああ、やっぱり震災の夜だ。


あの日は午前中湘南でロケ。その帰りの蒲田で地震に遭い、それから15時に納品予定だった築地の制作会社まで5時間歩いたのですが……。なんとか辿り着いた築地で、先方の担当者さんとNHKのニュースを見ながら「マズイですねえ」「マズイですよねえ」といいながら打合せと納品を済ますと、ちょうど地下鉄が動き始めたというので、うちへ帰ることにしました。


すると猛烈に空腹が。思えば江ノ島でゴキゲンに釜揚げしらす丼を食べたものの、地震の後は品川のコンビニでかろうじて買えたオレオ1袋と、築地で先方の社員さんがなんとか買ってきてくれた春雨ヌードルを食べたくらいでした。


ところがいろいろあるはずの東銀座に行ってみると、24時間空いているはずの吉野家をはじめ軒並み臨時閉店。こりゃマズい……と思ったところに、見えたのが一風堂から出てくるお客さんたち。
駆け寄ると通常通りというか、むしろ激混みの絶賛営業中。まだバンバン余震が続いていましたが、店員さんたちは安全に気を配りつつ、お客さんを安心させようとあえて明るく振る舞っていました。というかほとんどのお客さんは余震なんてそっちのけでラーメンを無我夢中で食べていましたが……。僕も温かい麺を一口すすった瞬間、14:46以来初めて生きた心地がしたのを覚えています。
あとこの先コンビニや駅ではお釣りがなくて1万円札が使えないことがあるかも、と思って1万円札を出したのも覚えています。


しかしこんな状況でも「ねぎ ¥100」をトッピングしたり、「替玉 ¥120」をしたのは覚えていなかった(笑)。意外と冷静だったのか、いつまた食えるかわからないから、食いたいモノを食っとけと思ったのか……。
でもまあ一風堂の接客はすばらしいものがありました。成功しているお店というのは、ピンチが訪れたときの対応が違うのだろうなと思います。


あれからもうすぐ1年なんですね。この1年はさすがにとても長かったような……。


追記:Facebookで「住所!」という鋭いご指摘が。銀座3-11-14…3月11日の14時、ってただの偶然とは思えない何かが。