昨日書いた「機材で野球のスタメンを組むとしたら」。デジタルでギリギリ9台集まりましたが、種さんは同じく“マイチーム”を組んでみたものの、デジタルでは選手が足りなかったそうで……。いつのカメラだよ!というような選手まで招集していました。もっとも種さんはクラシックカメラの教授だから、エレキなカメラばかりじゃつまらんね。
そこで僕も歴代のベストナインを作りました。現在も在籍中なのは4台。他は1台が引退、残る4台が“他球団”で頑張っているはず。
1番・オリンパス・ペンE-P1
2番・コニカヘキサー
3番・ライカM6TTL(0.58)
4番・マミヤ6MF
5番・ローライフレックス2.8F
6番・オリンパスOM-4Ti BLACK
7番・キヤノンEOS-1D MarkIII
8番・キヤノンEOS620
9番・キヤノンEOS 5D MarkII
やっぱり4番は一番長く使ってきたマミヤ6MF。20代の頃はこれで何でも撮っていました。最盛期は“影武者”もいて、3人でローテーションしていました。
その前後を固めるのがドイツから来た助っ人。ライカは随分働いたうえ、契約金よりも高い移籍金(笑)を残していった孝行息子です。ローライは在籍こそ短かったのですが、歴代選手でダントツの最年長(1961年生まれ)。そして存在感も、ツァイスレンズの描写も別格でした。
EOS620は見た目がそっくりなEOS630とほぼ同期入団ですが、激しいポジション争いに勝利。これで写真の基礎を覚えました。
そして最後の9番が5D MarkIIなのはエースだから。打者転向でも恐らく成功したであろう桑田や松坂のような存在です。
他に代打のスペシャリストとして期待されながら3試合(フィルム3本)しか出場のなかったコニカヘキサーRF、反対にスターにはなれなかったものの長く活躍したEOS 5(5Dではなくフィルムの方)、契約金は格安だけど年俸が高すぎた(1枚150円!)ポラロイドスペクトラなどなど、いろいろな選手がいましたなぁ。もうだいぶ整理しちゃいましたが。
今銀塩で残っているのはEOS-1、EOS 5、OM-2Nの3台だけ。だからまともに動くカメラは手元に8台ということになります。貸しているものと、動くかどうか微妙なものを入れて10台。一時期は軽く20台以上はあったので、随分減りました。
まったく違う職種の人から「カメラはいっぱい持っているんですか?」とよく聞かれるのですが、そんなわけで最近は「そんなに持っていないですよ」と答えています。まあふつうの人からみればまだまだ多いのかもしれないですけどね。
※追記
よく考えたら残っている銀塩カメラは3台どころじゃありませんでした。マミヤ6MFが1台まだ在籍。あと使わない道具を入れていた箱を空けたら、他にもいろいろと……(笑)。結局何台あるねん。自分でもわからん。
“4番”で撮ったうちの本拠地……ではなく旧ヤンキースタジアム。歴史を感じさせるすばらしい球場でした。